今回は“歴史とショッピングの道”を終えて次のプロムナードである「緑とスポーツの道」に向かいますが、ここは一気に飛ばして「海辺の散歩道」「海とあそぶ道」まで駆け抜けます
三笠公園からプロムナードの終わりである観音崎公園までで、港の眺めのよいコースです。

緑とスポーツの道

三笠公園からは国道16号線を離れて海沿いの「よこすか海岸通り」を進みます。

よこすか海岸通り

よこすか海岸通り

涼しげで流水の音も心地よい、水の流れる施設

涼しげで流水の音も心地よい、水の流れる施設

片側2車線で中央分離帯に熱帯植物が植えられている、正しくビーチをイメージさせられる気持ちのよい通りです。
車線が反対側でしたが、所々にこのような施設やモニュメントもあってより気分も爽快です。

うみかぜ公園

うみかぜ公園入口

うみかぜ公園入口

普通のロードバイクなら三笠公園から、ものの5分もしないうちに到着するであろう「うみかぜ公園」まで、あっちこっち眺めながらたっぷり30分は掛って到着です

ファミリー向け広場

ファミリー向け広場

スケボーもできるスポーツエリア

スケボーもできるスポーツエリア

この公園の特徴はファミリー向けの広場やバーベキュー施設があり、スポーツ派にはバスケットコート、テニスコートなどがあるのですが、特にスケボーエリアやマウンテンバイクが楽しめるのは珍しいかもしれません。

特筆ものは「親水護岸」で、何と言っても東京湾唯一の自然島「猿島」を眼前に見ながら釣りを楽しめるのです。

親水護岸の太公望と猿島 親水護岸の太公望と猿島 親水護岸の太公望と猿島

親水護岸の太公望と猿島


最も横須賀市民にとっては猿島も別に珍しいものではないのでしょうが。。。
横須賀市民、神奈川県民にとっては当たり前のことでしょうが、どうあがいても海の横の公園というのは180%埼玉県には存在し無いのです!!!!

平成町

平成町三丁目

うみかぜ公園を出て先に進むと「平成町三丁目」の交差点です。
全国的に既に平成と名付けられた地番は多いのでしょうかねえ?

旅歴メモ -平成町- ちょっと調べてみたところ単に“平成”という地番があるのは、熊本市、いわき市、上越市清里区、仙台市宮城野区、岐阜県本巣郡北方町などにあるようですが、町名となると横須賀市以外では、島根県松江市平成町、長崎県島原市平成町(あくまで調べられた範囲で)の2ヶ所のようです。まあ、だらか何だというご指摘もあるでしょうが。。。

海辺つり公園

海辺つり公園エントランス

海辺つり公園エントランス

まさに釣り人のための公園ということで、若干、子供が退屈しないようにと言う最低限の遊具と広場があるだけの長細い公園です。
公園のモニュメント

公園のモニュメント

ボードウォーク

ボードウォーク

三連休で日曜日と言うことも合ってボードウォークは釣り人で一杯です。
先に見える島は「猿島」で、この辺りからもかろうじて見える範囲のようです。
いずれにしても日がな一日釣り三昧もまた格別でしょうね。

海辺の散歩道

ここまでが「緑とスポーツの道」で、ここからは「海辺の散歩道」に変ります。
より海辺のサイクリングコースとなるようです。

馬堀海岸

海辺つり公園で“よこすか海岸通り”は国道16号線と合流しますが、ちょっとだけそこからも離れて、より海岸沿いを進みます。

防波堤際の釣り場

防波堤際の釣り場

ここは防波堤際で、ここでも沢山の釣り人が糸を垂れていますが、駐車禁止のメッカのようで警察車両が常に注意を喚起しています。
気持ちもわかるのですがね。。。
大津漁港

大津漁港

突き当りが「大津漁港」です。ベタナギが気持ち良さそうです。
そして再び国道16号線にもどります。

しばらく走ると南国風情満点の気持ちのよいロードとなりますが、決して自転車(歩行者)専用ではありません。

南国風情満載の国道16号線

南国風情満載の国道16号線

ここが16号線と疑うほど気持ちのよい道路ですが、これは平成7、8年の台風で大きな被害を受けたため、高潮対策事業として造られたものだそうです。
断面図(C)国土交通省横浜国道事務所

断面図(C)国土交通省横浜国道事務所

高潮対策事業

高潮対策事業

護岸対策と美観が上手くマッチしたプロジェクトですね。

うみかぜ画廊

うみかぜ画廊

更に進むと道路の壁面で壁画を楽しむことが出来ます。
「うみかぜ画廊」で、横須賀市港湾部の募集で応募された作品のうち20点が掲出されているのだそうです。
テーマは「海そして横須賀」で、“No1~4:ほのぼのゾーン”“No5~12:公募ゾーン”“No13~20:情報発信のゾーン”に分かれているそうです。
No.1:うみがみえるよ

No.1:うみがみえるよ

No.5:大津村より横須賀を望む

No.5:大津村より横須賀を望む

No.20:海と変遷

No.20:海と変遷


とっても素敵なことですが、メンテナンスが大変でしょうね。

海とあそぶ道

ほぼ一直線のよこすか海岸通り“馬堀海岸”を過ぎるとコースは最後のコースであり「海とあそぶ道」となります。
ここからも海岸線を走るのですが、若干趣もかわり歴史と自然にあふれるコースとなります。

走水水源地

海岸線と分かれる16号線

海岸線と分かれる16号線

16号線沿いの煉瓦建造物

16号線沿いの煉瓦建造物

「うみかぜ画廊」が終ると16号線は海岸線から少しはなれ海岸の景色もちょっと変ると同時に、地番も“馬堀海岸”から“走水”に変り国道の右手に煉瓦造りの建造物が現れます。
この煉瓦建造物は明治に造られた貯水池なのだそうで、この辺りは「走水水源地」と呼ばれているようです。

旅歴メモ -走水水源地- ここは横須賀市内唯一の自己水源地で、1876(明治9)年にこの走水の湧水を横須賀造船所に通水したのが始まりで、この湧水は水量が豊富でミネラルを多く含み、水温が17度とほぼ一定していることから、美味しく腐らないと評判だったそうです。
1902(明治35)年にその湧水を溜めておく煉瓦造りの貯水池が作られ、後に国内で初期の鉄筋コンクリート造りで浄水池が造られ、いずれも現在、国登録有形文化財となっているのです。

ヴェルニーの水看板

ヴェルニーの水看板

貯水池の反対側が「横須賀市水道局走水水源地管理センター」となっていて、浄水池はこの敷地内にあるそうですが、その横の看板に「横須賀水道発祥の地“ヴェルニーの水”はあちらです」という気になる看板を見つけました。
ヴェルニーといえは横須賀の功労者とも言える人物が、ここでも関わりがあったのかと感心しきりです。

ヴェルニーの水のある駐車場

ヴェルニーの水のある駐車場

ヴェルニーの水をこんなに。。。!

ヴェルニーの水をこんなに。。。!

そこで、その「ヴェルニーの水」とはと見渡せば、管理センターの駐車場にあるこの水道がそのようで、結構この日も水を求めて何人かの方が来ていました。

旅歴メモ -ヴェルニーの水- 明治初年頃、水桶で飲み水を売り歩く商人がおり、その水は走水仲町の湧水を船で運んでいたと言われていました。この湧水に着目し水源を発見したのがヴェルニーだったのです。
当時はお雇い外国人として横須賀の製鉄所(造船所)などの建設に来日していたのですから、水の重要さも当然了解していたわけです。
そこで水源を発見後、この水源から横須賀製鉄所までの約7kmの水道工事を行ったのです。土管をつなぎあわせて埋設し、土地の高低差を利用して水を送るという自然流下方式と呼ばれるもので、明治9年に完成しました。
また明治41年には、市営水道として小川町、大滝町、若松町に給水されたのです。
現在でも1日2000立方メートルの地下水を供給している市内唯一の水源として、災害時には応急給水の拠点となっているのだそうです。

ヴェルニーの水で“力水”

ヴェルニーの水で“力水”

折角なので持っていたペットボトルに“ヴェルニーの水”を入れておきます。
僅かながら塩気が感じられたので水を汲んでいる方に聞いたら「海から取っているのではないから、そんなことは無いよ」と一笑に伏されました。
確かに言われてみればで、きっと汗が混じったのでしょうね。
ヴェルニーの“力水”でここからは若干の坂道をあがります。

御所ヶ崎

坂道を登ると左手に「破崎緑地」という展望台がありますが、ここは「夕日の富士」が綺麗に見える景勝ポイントなのです。

破崎緑地展望台

破崎緑地展望台

案内板の夕日の富士

案内板の「夕日の富士」

僅かに見える横須賀と海岸

僅かに見える横須賀と海岸


なんと言っても、晴れた日には東京湾越しに富士山が見えるという非常に珍しい場所として有名なのですが、現実は富士山どころか、木々の間からかろうじて海岸線が見える程度になっています。
こう言った処は年々樹木が伸びるため徐々に視界が遮られていくのは仕方が無いことですからね。

馬堀海岸の「うみかぜ画廊」が見える

馬堀海岸の「うみかぜ画廊」が見える

それよりもここよりもう少し戻ったところからのほうが、先ほど走ってきた馬堀海岸が良く見渡せるポイントがあります。
いづれにしても気持ちの良いところではありますね。

走水番所・旗山崎台場跡 走水番所・旗山崎台場跡

走水番所・旗山崎台場跡


海岸線を進むと左手に突き出た岩礁が見えます。
石積みで囲われた大地のようになっているところが「走水番所・旗山崎台場跡」なのだそうです。
やはり東京湾の入口と言うこともあって造られたものなのでしょう。

旅歴メモ -走水番所・旗山崎台場跡- この場所は結構時代ごとにポイントとなった場所なのだそうです。
最古では日本武尊が上総に渡る時、海が荒れて進めなかったために臨時の御所を設け軍旗を立てたことから「御所ヶ崎・旗山崎」と呼ばれるようになった地なのです。
時代はずっと下って1590(天正18)年、家康が関東に入府後、三代将軍家光の命により1624年(寛永元)年、海の関所である御船番が三崎とここに置かれ、走水では下り船を、三崎では上り船を改め警備したのだそうです。
その後、走水番所、走水奉行所と昇格するのですが、1696(元禄9)年には伊豆下田の奉行所に統合され、廃止されたのです。
案内板の「近海見分之図」

案内板の「近海見分之図」

しかし、外国船などの来航が多くなってきた幕末、川越藩により1843(天保14)年、江戸湾防備のための台場が築かれ6挺の大砲を配備したのです。
それが「近海見分之図」として6挺の大砲が急を知らせる狼煙を試射した様子が描かれているのです。
そして明治期になってからは、旧陸軍によって低砲台が築かれ、松の木の下に現在も残されているのだそうです。

走水番所・旗山崎台場跡の目と鼻の先が「走水港」ですが、ここではまた時代を引き戻される歴史があるようです。

漁業や船釣で賑わっていそうな走水港 漁業や船釣で賑わっていそうな走水港 漁業や船釣で賑わっていそうな走水港

漁業や船釣で賑わっていそうな走水港


案内板の「弟橘媛命」

案内板の「弟橘媛命」

その歴史とは先の日本武尊の関連で、ここを「伝説の地・御所ヶ崎」と呼んでいるのです。
それは先の日本武尊がこの地で足止めをされたときに、荒れる海を鎮めるために「弟橘媛(おとたちばなひめ)」が身を投じたところが御所ヶ崎先端の「むぐりの鼻」だったことから、そう呼ばれているのです。

旅歴メモ -古東海道- この地はもう一つの歴史の原点でもあるのです。
歴史的に「東海道」と聞くと江戸時代に整備された5街道のうちの一つを思い浮かべますが、その原点は「古東海道」と呼ばれる道にあるのです。
律令時代と言うので凡そ6世紀~7世紀頃に東海道沿いの諸国の国府を結ぶものとして東海道が整備されたのです。この頃は、五畿七道の一つとして存在し、中世や江戸時代の東海道よりも、より直線的に造られたのだそうです。
古東海道ルート

古東海道ルート
(c)国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所

そのルートは畿内から静岡・沼津・御殿場経由で足柄峠を越え、三島から箱根路を進み、神奈川県(相模国)内では、相模湾沿いに進み鎌倉から三浦半島に入り、走水から浦賀水道を渡って房総半島に入り、そこから北上して安房国・上総国・下総国・常陸国へ至るルートが初期のルートだったのです。
更に横須賀市内に限れば衣笠-大津-安房口神社-浦賀-小原台-走水という道順だったようです。
そしてこのルートを日本武尊が東征のために下ってきた、最も古い東海道なのです。

現在の穏やかな漁港の姿からは、とても当時の荒れ狂ったような海原を想像することは出来ませんね。

走水神社

この「日本武尊」と「弟橘媛」が祀られているのが近くの「走水神社」です。

走水神社鳥居

走水神社鳥居

例祭の境内

例祭の境内

なにやら賑やかそうな雰囲気を見て取ると、本日は丁度秋季例大祭の華やいだ日のようです。
日本武尊が走水の御所を出発する際に、村人が日本武尊と弟橘媛命を非常に慕っていたので、自分の冠を村人に与え、村人はこの冠を石櫃に収めて地中に埋めその上に社を立てたのだそうで、この社が走水神社の創建となったのです。

旅歴メモ -走水と東国- その後の話は弟橘媛命が海中に身を投げるのですが、身を投げた直後海は凪ぎ風は静まって、一行の軍船はまさに水の上を走るように上総国に渡ったことから、以来、この地が“水走る”走水と呼ばれるようになったのです。
更にめでたく東征も済み大和に変える途中、碓氷峠から遥か東方の光る走水の海の輝きを見て、亡き媛を偲び「あ~吾が妻よ」と嘆き呼びかけられたことから、これ以来、東国を東(吾妻)「アズマ」と呼ぶようになったとか。。。
また、弟橘媛命が投身された数日後、海岸に櫛が流れ着いたことから、その櫛を御所のあった御所ヶ崎に社を建て櫛を納めて「橘神社」としたのですが、明治18年に御所ヶ崎が軍用地になった為、橘神社は走水神社に遷座され、その後明治42年に合祀されたというエピソードが残っています。。

その社殿がこちらの急な石段を登った先にありますが、石段の麓には幾つかの碑が建立されています。

参道横の碑や塚 参道横の碑や塚

参道横の碑や塚

左側には“包丁塚”に“ご神木”、そして“日本武尊と弟橘媛命”の顕彰の碑があり、右手には「包丁塚」にまつわる碑が建立されています。

包丁型の弟橘媛命“舵の碑”

しかしながら右手の碑を見ると一見して包丁の形なので、そう思えたのですが、実際は弟橘媛命にちなんだ「弟橘媛命“舵の碑”」というそうで浦賀水道の航行の安全を祈願するものだそうです。
よく見れば弟橘媛命にレリーフも掲出されていました。

神輿庫

神輿庫

社殿と別宮

社殿と別宮

出番を待つ「神輿庫」の神輿を後にして、参道である石段を上がると由緒に恥じない社殿が鎮座しています。
また、社殿の横の真新しい社は「別宮」で弟橘媛命に殉じた侍女を祀っているそうです。
上総国に向った浜!?

上総国に向った浜!?

ここからはその浦賀水道を遠望で、古の歴史にしばし思いを馳せることもできそうです。
女性のパワースポット!?

女性のパワースポット!?

例大祭と言うこともあり参拝客も結構多かったですが、悲恋的な要素もある祭神ですから女性の参拝客が多いのも頷けますね。

古代から明治・昭和までの長い歴史を持った由緒ある走水といった処でしょうかね。
ここからはいよいよ最終の観音崎に向かいます。

2013.10.30記(次章につづく)

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