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いよいよ最終地点に近くなりつつあります。
JR横須賀駅から始まった10,000mプロムナードも、走水を過ぎて後は観音崎に向かうのみとなってきましたが、ここからは若干上り坂もあり、あと一踏ん張りといったところです。

緑とスポーツの道~海とあそぶ道 -後編-

後1kmで目的地の観音崎です

後1kmで目的地

古の歴史に彩られた町、走水を過ぎると観音崎まで1kmの標識が現れます。

岬が「むぐりの鼻」

岬が「むぐりの鼻」

綺麗に整備されたボードウォークとホテル

綺麗に整備されたボードウォークとホテル

その先の左側には「観音崎遊歩道」なるボードウォークが海岸沿いに整備されています。
自転車は通行禁止なので(後で知ったところによると自転車を押して歩くのはOKだったそうです)ここは進めませんが、このような海岸線をのんびり歩くのもまた一興でしょう。
白い建物は「観音崎京急ホテル」でオシャレなリゾートホテルで、反対側の海岸線を眺めると、遠くに弟橘媛が入水した「むぐりの鼻」を見ることができますね。
因みにこの辺りまでが国道16号線で、この先は県道209号線となり、国道16号線は架空の浦賀水道となり房総半島に向かうのです。

観音崎公園

「横須賀美術館」

グリーンとブルーのコントラストが美しい横須賀美術館

観音崎ビーチ

青い海原の観音崎ビーチ

「観音崎京急ホテル」を過ぎ、右手の近代的な建物が「横須賀美術館」で、反対側の海岸の風景と良くマッチしていて、非常に美しい建物です。

「観音崎公園」 「観音崎公園」

プロムナード終着点の「観音崎公園」

そしてしばらくするとプロムナードの終着点である「観音崎公園」に到着です。
青い海と緑の樹木が美しい自然溢れる公園ですが、意外と歴史的な見どころも多いのです。ただ、結構広い敷地ながら自転車も侵入禁止なので今回は公園内の散策は見送りし、観音崎灯台を目指します。

「北門第一砲台跡」

ギョッとするほど突然現れた「北門第一砲台跡」

灯台に向かう途中にあるのが「北門第一砲台跡」です。
明治17年に東京湾防備のために設置されたもので、中央にあるトンネルを挟んで左右に一門づつ設置されていたそうです。
この観音崎は東京湾の入口で浦賀水道の一番狭い部分で東京湾防備にうってつけの地であることから、他にも砲台跡が幾つかあるそうです。

標本みたいな地層

標本みたいな地層

観音崎灯台

意外と・・・、「観音崎灯台」

地層のはっきり現れた細い道を進むと目指す「観音崎灯台」が現れます。
第一印象は意外と小さい、ってところでしょうか。

観音崎灯台点燈の碑

灯台が点灯された碑を示す「観音崎灯台点燈の碑」

高浜虚子の句碑など

高浜虚子の句碑なども

この灯台は【横須賀ストーリー Part1】でも見た通り、浦賀の燈明堂の替わりに建てられたものでした。

初代観音崎灯台

初代観音崎灯台
(ph:「ろこのつれづれに・・・♪毎日が花曜日♪」)

そもそもは英・仏・米・蘭との改税協定に三浦と観音崎に灯台を建築すべしとの指示から、横須賀製鉄所のヴェルニーが建設を担当し、製鉄所で造られた煉瓦と石灰を使い日本初の洋式灯台として完成したものなのです。
大正11年4月の地震により亀裂が生じたため、翌年3月に二代目が建設されたのですが、僅か5ヵ月後の関東大震災で崩壊したため、現在の灯台は三代目に当たるそうです。

チケット

チケット

観音崎灯台の発光器

観音崎灯台の発光器

灯台に登り、東京湾の景観にしばし癒されます。
景観と汐の香りを堪能します。
左の塔は「海上保安庁東京湾海上交通センター」

左の塔は「海上保安庁東京湾海上交通センター」

浦賀水道を挟んだ房総半島

浦賀水道を挟んだ房総半島

それほど高くない灯台

それほど高くない灯台


ちょっとオシャレな灯台型ガード

ちょっとオシャレな灯台型ガード

観音崎自然博物館

観音崎自然博物館

観音崎灯台を後にして海岸沿いを更に進むと「観音崎自然博物館」となります。

たたら浜 たたら浜

美しいビーチの「たたら浜」

博物館の先の海岸が「たたら浜」です。
この浜から砂鉄が取れたことからこう呼ばれるようになったのですが、実際に製鉄をしていたかどうかは不明なようです。

旅歴メモ -たたら浜-
ゴジラのいたかつての光景

ゴジラのいたかつての光景
(c)写真集「横須賀・三浦の昭和」

この「たたら浜」はかつて陸海軍の演習地として、1945年の終戦まで立入禁止だったそうですが、その名残は何一つ残っておらず、現在の景観からは平和そのものを感じるのみのようです。
その後、この浜は1954(昭和29)年公開の東宝ゴジラ映画の第一作である「ゴジラ」の上陸した浜として、「ゴジラの足跡」や「ゴジラのすべり台」があったそうです。更に浦賀駅の接近メロディにゴジラのテーマ曲が採用されているのです。
しかしながら実際の映画での設定のゴジラの初上陸地は東京・品川の八つ山付近の「大戸島」という設定で、ロケ地も三重県鳥羽市の相河町と石鏡町という漁村で撮影されたようです。
何故この「たたら浜」がそのようないきさつになったのかは不明ですが、ゴジラの足跡は現在は無い様で、滑り台は久里浜に移転されたようです。

小さなビーチ

小さなビーチでも美しさ堪能

このような透明度の高い綺麗な「たたら浜」で10,000mプロムナードも終了ですが、ここからは昨日訪れた浦賀・久里浜まで足を伸ばすことにします。

東・西「叶神社」

浦賀湾

再び訪れた浦賀湾

観音崎から海岸沿いを進むと再び浦賀湾の東側に到着です。
東叶神社

石造りの重量感ある鳥居と社号標

ここには浦賀の鎮守とも言える「叶神社」があります。
この神社は1181(養和元)年、京都・岩清水八幡宮の応神天皇を勧請し、その後、源頼朝によって源家再興成就の意を込めて神号を「叶大明神」に改めたのだそうです。

旅歴メモ -東西・叶神社- この1181(養和元)年の創建と言うのは、浦賀湾の反対、西側にある「(西)叶神社」の創建であり、その「(西)叶神社」を1644(正保元)年に勧請して創建されたのが、こちらの「(東)叶神社」なのです。
明治になるまで“東”は耀真山永神寺と呼ばれる真言宗醍醐派寺院を別当としており、西の宮司が現在“走水神社”などを兼任しているのですが、ここ“東”は別の宮司なのだそうです。

東叶神社社殿 東叶神社神輿庫

社殿と神輿庫

鳥居の先には立派な社殿と神輿庫がありますが、この裏手の山の上にはこの叶神社の奥宮があるのです。
奥宮への石段

結構な段数のある石段

お洒落なカフェ

参道の途中のお洒落なカフェ

意外と険しい階段を上がっていくとその奥宮が鎮座しています。

歴史を感じさせてくれる鬱蒼とした樹林は、県の天然記念物に指定されているもので、その中に奥宮を始めとした境内社、石碑などが多く残されています。

奥宮

やっとたどり着いた奥宮へは石段が200段

断食した勝海舟の碑

咸臨丸の安全を祈願して断食した勝海舟の碑

招魂塔

浦賀ドックでなくなられた方たちの招魂塔


旅歴メモ -浦賀城- この奥宮のある裏山は「明神山」と呼ばれ、かつてここには浦賀城があったのだそうです。
北条早雲が三浦の地を得てから、里見水軍との戦いが激化したことから浦賀水道に面したここ明神山に海賊城として建てて防備に当たらせたのだそうです。
その後、秀吉の小田原攻めにより城は陥落し浦賀城は廃城となったのです。
その後、江戸時代になってから「叶神社」が勧請されているので、元は「奥宮」が浦賀城の鎮守として祀られていたのではないでしょうか。
実際の経緯はどうであろうが、この東西の叶神社を巡ると恋愛成就というパワースポットに変っていることから、時代にあわせてご利益を受けられると言うことのようです。
後に知ったのですが、東でお守り袋を購入し、西で勾玉を購入して入れておくと成就するのだそうです。

ここからは西側にある「西・叶神社」に向かうのですが、ここは昨日わたれなかった「渡船」を利用します。

浦賀の渡し

風情ある浦賀の渡し

いわゆる“渡し舟”で、ここが「浦賀の渡し」です。
渡し船

東西を往復する渡し船

船がいない場合は呼び出しボタンを押せば戻ってきてくれるシステムでなのです。
愛宕丸

ポンポン船の愛称で親しまれている「愛宕丸」

自転車もこの通り乗せられます

自転車もこの通り乗せられます

料金は大人150円ですが、優れものは自転車も乗せられることで、別途50円で自転車も渡せるのです。

旅歴メモ -浦賀の渡し- 浦賀湾は、湾が約1.5kmも入り込んでいるため、東西住民の往来には渡船の利用が非常に便利だったので、明治9年の「皇国地誌」には“浦賀渡ト呼ブ町往来ニ属ス・・・船二隻ヲ用ヘテ往復二便ナラシム私渡ニシテ修繕民費”とあることから、最初は民営の渡船だったようです。
大正6年には浦賀町営となり、昭和18年浦賀町が横須賀市に合併されて横須賀市営となり、現在は運行業務を民間に委託しているのです。
したがってこの「浦賀の渡し」は渡船ではなく、現在は市道2073号線(愛称・浦賀街道)となっているのです。

浦賀市街

浦賀ドックのある浦賀市街

西叶神社

小さく見える鳥居が「西叶神社」

昨日の浦賀ドックを見ながら、2~3分で西側の対岸となり、遠めに「西・叶神社」の鳥居も見えます。

西側の渡し

西側の渡し

東叶神社遠望

東叶神社遠望

こちらが西側の浦賀の渡しで、こちらからも東側の「東・叶神社」の社殿を見ることができます。
西から見える東側の渡し

西から見える東側の渡し

明治からつづく浦賀情緒の味わえる浦賀の渡しです。

西叶神社一の鳥居

西叶神社の木製の一の鳥居と社号標

一の鳥居横には「郷社 叶神社」と刻まれており、二の鳥居の横には「村社 叶神社」と刻まれた社号標が存在しています。
最終的な意味では“社格”なのですが、“郷社”は守札(現在の住民票)を発行する市役所的な機能を有する神社で、“村社”も同じか、郷社に属するものとされていたものなのです。

旅歴メモ -二つの叶神社- 何故、二つの叶神社が存在しているかには諸説あるようです。
「三浦郡志」(大正7年)には、“「叶神社、当地には叶神社と称する神社2社あり、一つは東岸新井にあり、一つは西岸宮下にあり。共に村社にして応神天皇を祀り、伝えて養和元年僧文覚の勧請とす。記録によれば、叶神社はもと叶明神と称し、西浦賀に在りて浦賀一村の鎮守なりしが、元禄5年浦賀村分村して、東西に二ヵ村となりしより、東浦賀に叶明神を勧請したりと云ふ。
旧幕府時代の地誌は東叶神社を若宮と書せるにても事情察し難からず、西叶神社は歴代の浦賀奉行毎歳春秋二季に幣帛を献ずるを例とせり。”と記載されているようです。
更に「新編 相模風土記」巻百二十三には、“東浦賀 叶明神社 正保元年(1645)9月19日。西浦賀の本社を勧請し牛頭天王、船玉明神を合祀す。とある”ことから、元は西叶神社が始まりだったようです。
そして2社となった要因は、元禄年間に幕府の行政政策により、浦賀が東西の浦賀村に分離された際に、当時の総鎮守が西岸にあり神徳を受けていたことから、東岸でも同じご利益をと言うことで勧請されたようです。

石段の上にある社殿で参拝します。

西叶神社二の鳥居

二の鳥居は石造りです

西叶神社社殿

東と同じような造りの社殿はこちらが本家!?

この社殿は天保13年に再建されたものだそうで、当時の経費として3000両を要したそうです。
西叶神社社殿装飾

見事な本家たる彫刻装飾

その一つの要因として彫刻装飾があります。
見事な彫刻で、安房の代表的彫刻師・後藤利兵衛義光も作だそうで、この彫刻は後藤利兵衛生涯の最高傑作と言われているのだそうです。

ペリー公園

浦賀からは最後の目的地である“海国の街・久里浜”を目指します。

燈明堂前の壁画

燈明堂前の壁画

昨日の燈明堂の前の道からしばらくはアップダウンのある街中を進みます。
久里浜港と東京湾フェリー 久里浜港と東京湾フェリー

久里浜港と東京湾フェリー

最後のアップダウンを終わると「久里浜港」が広がり、港に入ってくる久里浜-金谷間を結ぶ東京湾フェリーの大型の船も見えます。
黒船食堂

文字通りのシンボル的な食堂

いよいよ久里浜にやって来たという実感が湧いてきます。

ペリー通りの開国橋

ペリー通りの開国橋

のんびりした風情の久里浜港

のんびりした風情の久里浜港

そしてペリー通りの標識とともに「開国橋」を渡ると南国情緒一杯の久里浜港となります。

ペリー公園

ペリー公園

ペリー上陸記念碑

ペリー上陸記念碑

この湾の反対側が「ペリー公園」で、正面に見えるのが“ペリー上陸記念碑”です。
ペリー上陸を記念して1901(明治34)年に米友協会が建立したもので、碑文の「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」は伊藤博文の筆によるものだそうです。

旅歴メモ -ペリー上陸記念碑- ペリーの久里浜上陸後47年を経た1900年(明治33年)10月、かつてペリー艦隊のプリマス号に最年少の士官として乗り組んでいたレスター・ビアズリー退役海軍少将が久里浜を訪れ、ペリー来航を記念する事物が全く無いことに落胆し、横浜での米友協会招待会の席上、以下のような演説を行ったのです。
ビアズリー夫妻

ビアズリー夫妻

「私は今回、横浜に着くや、すぐ久里浜へ出掛けました。途中、切り通しの所で記念碑を見かけました。 その切り通しの開削に尽くした人の功績を記した碑とのことでした。 私は、切り通しの開削でさえ記念碑がある。さぞかし久里浜には立派な碑があるだろうと思いました。 だが、行ってみましたら、何もありませんでした。  もとより私は、あえてぺりーを日本開国の功労者に仕立てるつもりはありません。 ペリーは、ただ開国の好機に日本へ来たに過ぎないのです。すでにぺりー提督なく、 当時、一行中の士官五十一人のうち存命者は四人。だが私以外は老衰で、来日は無理であります。」 この演説に感銘を受けた米友協会は早速ペリー上陸記念碑建設を決定したのです。
因みに米友協会とは、アメリカに留学または滞在し、日本に帰国したのち政界・経済界で活躍した人々が集まり、交友を深め便益をはかることを目的に1898(明治31)年に設立された協会です。
そして1901(明治34)年7月14日、日米両海軍の軍艦、そしてペリーの孫に当たるアジア艦隊司令長官代理の口ジャース少将をはじめとして、桂太郎首相ら大勢の来賓を招きペリー上陸記念碑の除幕式が盛大に行われたのです。
倒された状態のペリー上陸記念碑

倒された状態のペリー上陸記念碑

護国精神振起之碑

木製の護国精神振起之碑

その後、ペリー上陸記念碑は日米友好のシンボルとしての役割を果たしていくのですが、1944(昭和19)年には、横須賀市の翼賛壮年団が中心となってペリー上陸記念碑の破壊運動が行われるようになり、1945(昭和20)年2月8日、ついにペリー上陸記念碑は倒され、その後に徳富蘇峰の筆による「護国精神振起之碑」を建立する計画で、その前に木製の碑が立てられたのです。
しかし、終戦後の11月には再建工事が行われ、1947(昭和22)年7月14日、ペリー上陸記念碑前でペリー上陸95周年記念式典が行われた、記念碑は再び日米友好のシンボルとしての役割を果たすことになるのです。
まさに開国依頼の日米の歴史のエッセンスのような上陸碑の歴史と言えるのです。

ペリー記念館

ペリー記念館

ペリー公園の一画には「ペリー記念館」があります。
ジオラマ

黒船来航時のジオラマ

ペリー上陸の絵

ペリー上陸の絵

ここには黒船来航時のジオラマやペリー久里浜上陸の絵などを見ることができます。

記念撮影

最後を飾る
ペリー提督との記念撮影

最後はペリー提督との記念撮影でこのポタリングも終了です。

JR横須賀駅をスタートした「10,000mプロムナード」でしたが、開国の街、海軍の街、日米友好の街、そして海の街の歴史と文化を堪能することができました。

立石公園

秋谷の立石碑

秋谷の立石碑

霞んだ江ノ島

霞んだ江ノ島

当初の予定は終了しましたが、帰り際に「立石公園」に寄ってみました。
立石公園は横須賀とは三浦半島の反対側(西側の海岸沿い)に当たり、地域的には葉山町の南側になりますが、かすかに遠く江ノ島も見えます。
文字通りの「立石」

文字通りの「立石」

ここは「立石」と呼ばれる奇岩があることから、文字通り“立石”という地名ともなっています。

ぼんてん

ここが「ぼんてん」

しかし、ここが有名なのは、「立石」という三浦半島の秋谷海岸に突き出した高さ12m、周囲約30mの自然に出来た巨岩の先に張り出している「ぼんてん」とよばれる岩場と、そこに自生する松、そして条件がよければ海を挟んで箱根・伊豆の連山とともに浮き出た富士山も見渡せることで、古くからの景勝地なのです。
(c)花の家

条件がよければ・・・(c)花の家

相州三浦秋屋の里

初代安藤広重「相州三浦秋屋の里」

そのベストショットと初代安藤広重が「相州三浦秋屋の里」を描いたものです。

特に空気の澄んだ晩秋から冬にかけては絶景で、アマチュアカメラマンが多く集るようですが、この日も結構な人が集っていました。

気取って撮ってた光景

気取って撮った一枚

しばらく落日を見ながらカメラマンを気取ってシャッターを切ってみましたが。。。
本日も落日

本日も落日

とっても美しい夕日を眺めながら、まさに文字通りの落日を迎えました。

2013.11.04記(完)

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コメント

  1. kame-naoki | -

    こんにちわ。
    昔、横須賀方面には良く出掛けました。写真の整理(デジカメじゃなくてプリント写真です)をしていたら、どうしても記憶にない写真がありました。看板とかとなくて風景と石碑の写真でした。ずっと気になっていたのですが、それがこの観音崎公園と灯台点燈の碑だということがわかりました。モヤモヤがとれたような気がします。ありがとうございます。

    ( 08:02 )

  2. kshun10 | -

    観音崎公園

    観音崎公園は心霊スポットとして何かの番組で見ましたので、怖そうな場所だと思っていました。
    写真で見ると綺麗そうですね~。夜はガラリと変わるのかな。

    ( 08:23 )

  3. 薄荷脳70 | -

    Re: タイトルなし

    kame-naokiさんありがとうございます。
    想い出のお手伝いができたようで、嬉しい限りです。
    色々と想い出をお持ちなのでしょうね。
    私は今回がはじめてですが、思い出深い地となりました^^

    ( 21:04 )

  4. 薄荷脳70 | -

    Re: 観音崎公園

    kshun10さん、ありがとうございます。
    昼は海と空の青と、緑が美しい場所でしたが、心霊スポットなのですか!
    やはり海防の関係で、砲台などがあった由縁からでしょうか。
    夜はとても行けませんね;;

    ( 21:07 )

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