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横須賀ストーリーの最終章は、やはり米軍基地でしょう。
これまで開国から横須賀製鉄所の建設が始まり、横須賀造船所、そして日本海軍の横須賀鎮守府と歩んだ歴史を見てきました。
そしてその歴史も敗戦以来、それらの施設はすべて米軍に接収されあため多くを見る機会がずっと減少したのは歴史のあやと言うべきものでしょう。
隠されれば見たいのが人間の性で、以前、福生の横田基地での一般公開では多くの見学者と共にひと時を堪能したのですが、横須賀基地では地理的なこともあり、その機会は中々訪れませんでした。
しかし何気なくHPで見つけた「日米親善ベース歴史ツアー」なるものに応募したのがきっかけで、参加の機会が得られたことから先駆けとして先月の散策を行ったのですが、今回はその仕上げともいうべき歴史ツアーへの参加なのです。
簡単に参加資格を得られたツアーですが、毎年4回開催されていて1ツアーで150名しか参加できないとのことで、参加後に知ったところによると平均倍率10倍とかで、初めて応募して1回で当選するとは奇跡と言われて、改めて籤運の無かった自分を褒めてやりたい気分になりました。

当選通知

当選通知

結構細かい規定があることは判ったのですが、最低限パスポートか写真付き住民基本台帳カードの提示がないと入国(一応アメリカなので)できないとのことで、遥か以前にパスポートの切れていた私達は、急遽、住基カードの申請を行ったのです
埼玉県上尾市役所で申請したところ使用目的を聞かれたので、「横須賀の・・・」、と話したところ、その職員も知っていたの位なのでかなり有名なのかもしれません。
そんなこんなで11月2日、今回は家内と二人で三連休の最初に日に再び横須賀に向かったのです。

日米親善ベース歴史ツアー -上-

見学先は「アメリカ海軍横須賀基地」通称・ベースと呼ばれているエリアで、軍港めぐりでも有名な場所です。しかしなんと言っても米軍基地=アメリカあることとともに、機密事項が多いことからおいそれと入ることは叶わないことから、このようなツアーや一般公開のイベントなどが年間を通して行われているのです。

イントロダクション

集合場所はJR横須賀駅で、AM8:30~集合と言うことから自宅を6:00過ぎに出て8時過ぎに到着しました。
今回のツアーの150名は9:00、9:30、10:00の3つのグループに分かれ、私たちは9:00のグループとなったのです。

JR横須賀駅 JR横須賀駅

JR横須賀駅ホームとエントランス

先月横須賀駅に訪れた際は外からだったのですが、今回は電車での訪問ですのでホームからの情景を見ることができ、まさしく階段のない駅を実感しました。
この写真のホームは。左側が2番線で、右側が3番線です。
現在は1番線はなく、かつては左手に見える段差が1番線で皇室などの専用ホームだったそうです。流石に鎮守府のあった横須賀ならではの歴史です。
更にホームの柱の多くはレールを利用したものだそうで、まさに横須賀の歴史といっても良いでしょう。

ツアーバッチ

バッチすらも年季が入っているのです

定刻どおりの9:00にツアーは開始され、9:00グループの50名は更に14、5人のグループに分かれ、その際にツアーバッチが渡されます。
ツアールートは「ヴェルニー公園」~「どぶ板通り」を経てベースに向い、その間ガイドスタッフの方から様々な説明を聞くことができるのですが、今回は前回訪れた時【横須賀ストーリー Part2 ~10,000mプロムナード~ §1】に知った以外のことを記載しておきます。
因みに、ガイドスタッフの最初の挨拶では、このツアーはあくまで歴史を知るためのツアーであって、艦船に乗船するとか、アメリカンなグルメを堪能するツアーでない事を強調されていました。
結構、勘違いして不満を漏らす人が多かったようで、空気というより、主旨が読めない人に釘をさしていると言うことです。

歴史的な塀

残され塀

早速ツアーが催行され、最初のポイントは横須賀駅の先の交番の横にある変哲もない“塀”からです。
極々普通の“塀”なのですが、実はこの塀はかつて現在のベースが横須賀鎮守府だったころの、鎮守府のエリアの境界をなしていた塀なのです。
歴史的な塀

邪魔にならない処だけ奇跡的に残されています

裏から見ると高速道路の下に100mくらいだけ残されており、この塀は前回見た公園内に残っている遺構「逸見門」につながっていたものなのです。
駅前ロータリーを整備する際にその部分だけ撤収されたのでしょうか。

今日は生憎の曇天ですが、久しぶりの横須賀で早速の潜水艦2隻に心も躍ります。
また、先月見た南極観測船「しらせ」はいませんので、巡業に行っているのでしょうね。全国行脚しているらしいですから。

横須賀本港の潜水艦 横須賀本港 横須賀本港

久しぶりの横須賀本港


ツアー光景

ツアーの光景

そしてこんな感じでツアーは始まるのです。

桟橋

このような桟橋があったとは。。。

公園のボードウォークの下にある階段はかつての桟橋だったところだそうです。
大型船は着岸できないので、沖に船泊まりして小さな船に乗り換えて下船するのですが、そのための桟橋なので階段が設置されていたものなのです。

逸見門

何度見ても微笑ましい詰所の形状

逸見門

左側に塀があった

先に説明のあった「逸見門」ですが、基本的に当時の横須賀鎮守府の正門だったそうです。したがって入隊する人はこの辺りの旅館に泊まり、翌日この門から入隊する歴史的な門だったのです。
逸見門につづく塀があったロータリー

現在のロータリー沿いに塀があった

そして衛兵のいた詰所の一片の出っ張りにあの交番横の塀が続いていたのです。

FENCEの向こうのアメリカ FENCEの向こうのアメリカ

まさにFENCEの向こうのアメリカ

湾沿いに戻ってベースを眺めます。
岸壁沿いに見える「B」の文字のあるところがこれから行くドライドックで、2、3と建物に書かれているのがドック番号です。
期待感が高まるばかりです。

横須賀海軍工廠の跡地

横須賀海軍工廠の跡地

左手前方に見える建物は現在の「ショッパーズプラザ横須賀」で、この地はかつての「横須賀海軍工廠」があったところです。
その施設は1978(昭和53)年まであったそうですから、比較的最近まで残されていたのですね。
因みに撤去費用は約8000万円で、スクラップとしての売却代が約9000万円で「やや残る勘定」だったのだそうです。

旅歴メモ -横須賀海軍工廠-
明治期の横須賀海軍工廠

明治期の横須賀海軍工廠

1866(慶応元)年、江戸幕府が横須賀製鉄所として建設し、その後、明治政府によって帝国海軍所管「横須賀造船所」となり、1884(明治17)年横須賀鎮守府設置とともに直轄造船所となり、1903(明治36)年「横須賀海軍工廠」となり、呉海軍工廠と共に多くの艦艇を建造したのだそうです。
終戦後は米軍に接収されるも、1959(昭和34)年に返還され、住友機械工業に払い下げられたのです。
ガントリークレーン

シンボルに相応しいフォルムのガントリークレーン
(c)横須賀写真館

この工廠のシンボルは「ガントリークレーン」と呼ばれる、レール上を移動可能な構造を持つ門型の大型クレーンだったそうで、1913(大正2)年に造られたものでした。

ヴェルニー公園の最後は幾つも並んだ記念碑の数々です。

「国威顕彰」の碑

「国威顕彰」の碑

その中の一つに「国威顕彰」の碑があります。
占領下時代の逸見門

敗戦後の占領下時代の逸見門と碑

形は戦艦の艦橋を模した形状で、元々は逸見門を入ったところにあったそうです。
ガイドの方の写真に寄れば門を入った正面に設置されているのがわかるでしょう。ちょうど逸見門に続く塀も白くて綺麗だったようです。
更に現在の碑には銅板の説明板が取り付けられていたのだそうですが、現在は全くありません。
これは終戦後、内容的に不都合な内容だったためか、或いは当時銅板が高値で売れたことから取られたのか不明ですが、いずれにしても何かしらが書かれていたそうです。

戦艦長門碑

戦艦長門碑

また注目はその隣にある「戦艦長門」の碑です。
長門は横須賀鎮守府所属の戦艦で、開戦初期は大日本帝国海軍の連合艦隊旗艦として連合艦隊司令長官 山本五十六大将が座乗しており、その後も海軍のシンボル艦として存在していたことは知っていましたが、敗戦後の行方については全く知りませんでした。
米軍に接収された長門

終戦時、唯一生き残り米軍に接収された長門

ビキニ環礁での7月25日の実験光景

ビキニ環礁での実験光景。赤丸の艦が長門

この「長門」、敗戦後は米軍に接収され、あのビキニ環礁での原爆実験に供されて沈没したのだそうで、現在でもビキニ沖で眠っているのです。
なんとなく切ない終焉ですね。

ヴェルニー公園を後にしてからは「どぶ板通り」を見学です。

ベース正面ゲート

ここから見えるベース正面ゲート

横須賀芸術劇場の先のどぶ板通りを進みますが、ここから国道16号線の先に見える2本のポールが、ベースの入口で、この場所はツアーでいつも説明するポイントなのだそうです。

旧海軍下士官兵集会所跡碑

旧海軍下士官兵集会所跡碑

その先にあるのが「旧海軍下士官兵集会所跡」碑で、横須賀芸術劇場がかつての集会所跡だったことは前回で知りましたが、よくよく考えてみると何故敷地外に立てられたのでしょうか。
昭和11年の集会所

昭和11年の集会所(c)横須賀写真館

集会所前の国道16号線

集会所前の国道16号線(c)横須賀写真館

集会所から撮影した国道16号線の行進の様子が写されていますが、道路沿いにはあの“塀”が繋がっているのが見て取れます。

バザール

準備が進んでいるバザール

どぶ板通りは今週「どぶ板バザール」が開催されるようで、既に準備が始まっていました。
見学後にバザールに立ち寄って見ることにしましょう。

有名人の手形

左「雪村いずみ」・右「MALTA」

前回見逃してしまったどぶ板通りの有名人の手形ですが、今回は「雪村いずみ」とアルトサックス奏者「MALTA」の手形を見ることができました。

明治天皇横須賀行在所跡碑

以前は全く気が付かなかった記念碑

向山行在所

向井行在所方向

しばらく進んで通りを左折して16号との交差点角に「明治天皇横須賀行在所跡碑」があります。
これは明治天皇が横須賀に来られた時を記念して建立されたもので、この通りの反対側の丘の上に泊まられたそうです。

旅歴メモ -行在所- 明治天皇は横須賀造船所の視察のため度々横須賀に来られたそうです。特に明治4年、6年、8年には向山行在所(海軍兵学校教師館)に宿泊されたようです。
これはこの当時、横須賀までは船で来たためにどうしても宿泊する必要があったためで、これ以降は汽車で来られるようになったので、例の1番線から横須賀造船所に向い日帰りで視察できるようになったのだそうです。

ここまでが触り部分で、ここからが今回のメインイベントである「ベース歴史ツアー」が始まります。

FENCEの向こうのアメリカ

ここから先にあるゲートがベースの入口なのですが、あまりにも写真を撮ってはいけないとのガイドの言葉から、かなり萎縮して写真はしばらくありません。
ゲート前で4グループに分かれた9:00班が合流して、初めてここで入国用のチェックを受けます。

入国用のシール

このシールが無いと入国できません

まずはパスポートか住基カードを提出して入国用のシールを受け取ります。
そしてベースの方の挨拶と一緒にツアーを廻る水兵の方が紹介されます。一応、監視役ということから一層緊張してしまいます。

ここでは特に写真撮影に関する注意が主で撮影禁止に関するものです。
1.ゲート
2.迷彩服を着た守衛など
3.潜水艦と修理中の艦船
以上とのことですが、以前も違反した人がカメラを没収されたとのことで、またまた緊張してしまいますが、兎にも角にもゲートをくぐり、無事アメリカに入国しました。

無事に入国し50名はまず1ヶ所に集合し、ガイドの方から説明を受けます。

見学用資料

見学用資料

見学ルート

見学ルート

ツアーのルートはおおよそ7kmで地図上では赤いルートとなり、約5時間程度の時間を要します。

見学ポイントは以下の通りです。
1.正面ゲートセレモニー、2.関東大震災の碑、3.横須賀製鉄所・工廠庁舎沿革の碑、下士官クラブ、4.第1号~第3号ドライドック、5.泊船庵の碑、6.港湾管制ビル、7.第6号ドライドック、8.フードコート(昼食)、9.コサノバーク(コミュニケーションタイム)、10.終戦時米軍上陸地点、11.将校クラブ、12.海軍病院、13.皇后陛下行啓の碑、14.旧海軍病臨門柱、15.横須賀鎮守府跡、16.基地内労働者感謝の碑、17.正面ゲート
準備万端でスタートです。

関東大震災の碑

関東大震災の碑

上部にはそのときの時刻が刻まれています

記念すべき最初のポイントが道路越しに見える「関東大震災の碑」で、昭和2年に建立されたものです。
当時はレンガ造りの建物だったことから多くは壊滅的な被害だったようで、艦船の炎上、燃料タンクの爆発などもありここもまた被害は甚大だったそうです。

歴史ツアー アメリカン

あえて和を醸し出したところがアメリカン

ツアーはこのように奥へ進み徐々にアメリカの雰囲気が漂ってきます。

横須賀製鉄所・工廠庁舎沿革の碑、下士官クラブ

白亜の建物が「下士官クラブ」です。

下士官クラブ 下士官クラブ 下士官クラブ

下士官クラブとモニュメント


CPOは「CHIEF PETTY OFFICERS CLUB」の略称で、所謂下士官と呼ばれる人が入れるクラブなのです。
錨のモニュメントも誇らしげです。

旅歴メモ -下士官- 良く聞く「下士官」ですが、一体下士官ってどんな階級の人を言うのでしょうか。
基本的な概念は時代や国によって微妙に違いはあるのですが、士官(将校)の下で、兵(兵卒)の上に位置する階級で、ビジネスでは中間管理職ってところでしょうか。
米国海軍では、Chief Petty Officer (CPO)、Petty Officer First Class (PO1) 、Petty Officer Second Class (PO2)が下士官に当たるのですが、これを日本語にすると現在の海上自衛隊の1等海曹、2等海曹、3等海曹に当たるようです。
と言われてもピンとこないので、これを更に大日本帝国時代の海軍では上等兵曹、一等兵曹、二等兵曹となり、陸軍の階級で言えば、曹長、軍曹、伍長に該当するのです。
因みにその上の士官は、帝国海軍時代では少尉以上を言い、下士官から士官になるためには士官養成のための学校に入る必要があり、旧日本軍の陸軍では陸軍士官学校、海軍では海軍兵学校がこれにあたり、現在の自衛隊では防衛大学校、幹部候補生学校がその役割を担っているのです。

9.11慰霊碑

9.11慰霊碑

クラブの前にある碑が「3.11慰霊碑」で、左の二本の塔が当時のトレードセンターを表しています。

横須賀製鉄所・工廠庁舎沿革の碑

横須賀製鉄所・工廠庁舎沿革の碑

更にクラブの前には「横須賀製鉄所・工廠庁舎沿革の碑」があります。
関東大震災で崩壊した初代庁舎に代わって建てられた新庁舎の竣工を記念して昭和2年に建立された記念碑です。
碑は初代庁舎の用材を用いられたもので、中段の年号の記された石は庁舎の鏡石として彫刻されたもので、土台は庁舎の礎石だったものです。更に下部の煉瓦は庁舎建設担当のフランス人・ボエルが製鉄所の窯で製造されたものなのだそうです。

旅歴メモ -造船所から海軍工廠へ-

明治10年代には、横須賀造船所ではその最新の機械と技術を駆使し、造船だけでなく民間工場の機械部品の製造や修理を行うなど民間工業の発展の手助けをしています。明治 20 年代以降、本格的な軍備拡張が始まると、軍艦の建造・修理が中心になっていきます。
明治36年(1903)には「横須賀海軍工廠」と改称され、多くの艦船を建造し海軍の発展の中心的役割を果たします。昭和20年(1945)までその規模を継続的に拡充してきました。
(ツアーパンフレットより)

いよいよここから本格的な見学が始まります。

2013.11.11記(つづく)

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