日米親善ベース歴史ツアー -中-

スタートした「日米親善ベース歴史ツアー」は、本格的な見学に入ります。
晴れのち曇りの天気予報ながら、いつ雨が降ってきてもおかしくない雲行きで、何とかこのままと祈るような気持ちでツアーは進みます。

続・FENCEの向こうのアメリカ

プロローグのような幾つかの歴史的な碑を見たあとは、ベースに残る遺構を見て廻ります。

第1号~第3号ドライドック

今回のツアーのハイライトと言ってもよいのがドライドック見学です。
横須賀製鉄所(造船所)建設までの経緯は【横須賀ストーリー PART1】で知った通りで、小栗上野介やフランス公使ロッシュなどによって計画され、ヴェルニー指揮の上に建設が進められたのです。

旅歴メモ -横須賀製鉄所の建設- 1865(慶応元)年9月27日、横須賀製鉄所(仏語では「Arsenal De Yokosuka」と標記されているので、横須賀造兵廠と訳すのが正しいそうです)の鍬入れ式が行われ、横須賀製鉄所首長に任命されたヴェルニーにより、1868(慶応4)年末までに錬鉄、製缶工場、宿舎、修船台、第1船渠(ドック)の建設、横須賀丸の建造、日本初の耐火レンガの製造など造船所機能の多くを手がけ、その一部を完成させていました。
その後、明治維新により横須賀製鉄所は明治政府に移管され横須賀造船所と改称され、その後もヴェルニー達によって拡充されたのですが、多大な業績を残したヴェルニーは完成を見ずに1876(明治9)年に帰国したのです。
因みに当時のヴェルニーの年棒は現在の貨幣価値で1億円くらいだったそうですから、明治政府の財政難がその理由のようです。

そしてその時作られたのが、この「第1船渠(ドック)」で、ドライドックとは、船舶の建造、修繕、船底清掃などのため船を引き入れて排水し、船底を露出させることのできる施設なのです。
因みに1日~2日かけて検診する“人間ドック”はこのドックから由来しているのです。

第1号ドック

第1号ドライドック

第1号ドック陸側から

第1号ドライドック陸側から

第1号ドック海側から

第1号ドライドック海側から


「DRY DOCK NO.1」と記載された銘板には、「CONSTRUCTED 1871」と記載されています。まさしく1871(明治4)年に竣工した第1号ドックで、F.L.ヴェルニー、L.F.フロラン設計による日本で建設された最初のドライドックなのです。

意外と綺麗な新小松石

意外と綺麗な新小松石

石積みのドックが、浦賀ドックの煉瓦とはまた違った迫力をかもし出していますが、この石は真鶴から熱海にかけて産出された「新小松石」と推定されているそうです。

延長された部分

延長されたドックの部分

船首のほうで石積みからコンクリートに材質が変わっているのですが、これは1936(昭和11)年に15m延長したための名残で、最初の全長は124mですので、現在は139mとなるわけです。

的!?

那須与一の的!?

真新しい盤木

流石に現役ですから真新しい盤木です

また船首にある“弓の的”のようなものは、船を真直ぐに引き入れるためのもので、この的に船のマストを合わせて船体を盤木に乗せるのです。
浦賀ドックには原始的な水準器が取り付けてありましたが、こちらは更に単純なシステムです。
現在でも使用されていることから盤木も綺麗な状態で置かれています。

1号ドック扉陸側 1号ドック扉海側

公園から見たBがこのAの扉

ドックのゲートが「A」と書かれている部分で、この反対側にヴェルニー公園から見た「B」が記載されているのです。
開閉ゲートから見たドックはやはり明治の気概を感じさせてくれそうです。
アメリカから見えるヴェルニー公園

アメリカから見たヴェルニー公演

港を挟んだ先にはヴェルニー公園のフランス式四阿を見て取ることができますが、この光景はある意味貴重なショットといえるのでしょうね。
That’s so cool

That's so cool

因みにご紹介が遅くなりましたが、このお二人が今回の見学に同道していただくお目付け役!?の水兵の方です。
お名前は失念しました、って紹介になっていませんでした。ごめんなさい。
でも何かクールですよね。

第2号ドック

第2号ドック

1号の次は当然2号となり、直ぐ隣にその「第2号ドライドック」があります。
2号は1884(明治17)年に竣工され、全長156.5mの大きさは明治初期においては東洋一と推定されていたそうです。
この時期には既にヴェルニーは帰国していますので、設計はジュウェットが担当し、工事はすべて日本人だけで行なったのだそうです。

2号ドック 2号ドック

第1号より更に迫力があります

石は1号と同じ新小松石で、約27,800個使用されているのだそうです。
復元図

当時の2分割の復元図
(パンフレットより)

2号の特徴はこのドックを2分割出来るようにしてあったことで、これによって2隻同時に修理が出来たそうです。
名残!?

分割の名残!?

日本でもここしかない構造だったのだそうですが、大型船改修がおおくなったことからそのシステムは撤去されてしまったそうです。
あの小屋

間近に見えることが貴重なのです

2号の隣には3号があるのですが、その間には朝ヴェルニー公園から見た小屋を見て取ることが出来ます。

3号ドライドックの竣工は1874(明治7)年で2号より早いのです。したがって設計は1号と同じF.L.ヴェルニー、L.F.フロランで、ヴェルニー最後の設計といってよいでしょう。

3号ドック 3号ドック海側 3号ドック陸側

第3号ドック


斜路

これが斜路というものでしょう

全長約90メートルと3号の中では一番小さなドックとなりますが、特徴はドック奥に斜路が設けられていることで、これはクレーンなどの重機が発達していなかったため、必要な資材をこの斜路を滑らせてドック底に降ろすために造られたのです。
この3号ドックは明治7年完成以来、石材の風化による補修以外改修は行われていない建設当時の姿を残している日本最古のドックなのです。

旅歴メモ -1~3号ドライドック- 19世紀後半において欧米でドライドックを建設する場合、大中小の3基のドライドックを建設するのが常識でした。それは当時の海軍が戦艦を中心として、巡洋艦、駆逐艦といった編成による艦隊編成に合わせた大きさのドライドックが効率的であったからなのです。
しかしながらヴェルニーの横須賀製鉄所建設計画で当初2基の建設を予定したのは、当時の明治政府の財政難からで、その後、計画が変更され3基となっても、1号の建設後、一番小さな3号を先に建設して2号を後回しにしたのも深刻な財政難と労働力不足からだったようです。
そして3号を作る際、あえて1号との間を開けたのも、その後2号を作る予定であったからで、更に1号~2号、2号~3号間の間にポンプ室を設置したのは、最大のドックである2号に船舶入渠時には、両方のポンプを同時に使用して効率的な排水を行う仕組みとするためで、当初から3基のドライドックを並べて建設する予定だったことが推定されるのです。
しかし、この2号の完成を見ることもなくヴェルニーが帰国したのも、また、財政難なのですから皮肉なものです。

航空写真

これで大きさが比べられます

現在の航空写真でその3基のドックの様子が伺えます。
いづれにしても日本の近代産業の幕開けという歴史を作ったと言っても過言ではない横須賀造船所の1~3号のドライドックなのです。

偶然です。。。偶然!

この位は許せる範囲!?

3号ドックを撮影しているときに“偶然・・・”にも潜水艦の姿がチラッと写りこんでしまいました^^ あくまで“偶然・・・”ですが;;
このあと実際に近くで見れたのですが(流石にその写真は無い!)、その迫力は只者ではありませんでしたね。

泊船庵の碑・港湾管制ビル

ベースっぽい アメリカン!

よりアメリカンになってきたベース

3号までのドックを見学してからは、ドックの向い側に渡るとそこは「Howard St.」と「King St.」の交差点です。
SRF SRF

看板もトピアリーもある重要な施設

Howard St.沿いには「SRF」と記載された銘板と、“SRF”のトピアリーのある大きな白い建物が道の両側にあります。
このセクションは正式には「U.S. Naval Ship Repair Facility And Japan Regional Maintenance Center」略して“SRF-JRMC”と明記し、日本名では「米海軍横須賀基地 艦船修理廠及び日本地区造修統括本部」なのです。
ここはこのベース内でも“縁の下の力持ち”あるいは“影の主役”である施設なのです。

この施設のミッションは“第7艦隊の艦船を常に機能できる状態に保つ”ことで、主な業務は、工場、ドライドック、埠頭での艦船の修理、改修工事ですが、修理・造修の為の設計・見積り、品質管理、施工管理やドライドックや埠頭への出入港の作業も行っているのです。
何故重要な施設かと言えば、ベースおよびこの施設が機能しないと艦船の点検及び修理などは往復におよそ半月から1か月を要するハワイ州オアフ島の真珠湾、またはアメリカ本土の基地内の修理施設で行う必要があるため、ベース及びSRFは極東から中東へ至る地域の戦略に重要な任務を帯びた施設と言えるからなのです。
したがって施設や人員ともに優秀な整備能力を保持していて、約2000人の日本人スタッフも勤務しているのです。

旅歴メモ -SRF-JRMC- かつて日本海軍の戦艦や空母を建造した横須賀造船所は、1947(昭和22)年に75人のアメリカ海軍指揮官と576人の元日本人の帝国海軍の従業員のスタッフで「船舶修繕部」としてその技術と伝統を受け継ぎ、当時の横須賀造船所の約25%のエリアを占めていたそうです。
ナンデモデキマス

何でもできるSRF

その後、1951年に公式に「米国軍艦造修所」に指定され、現在では非常に質の高い業務を行っているのです。
恒常的に日本人スタッフの募集もしているようで、雇用主は国(防衛省)ですが使用者は在日米軍となり、国に雇用されるのですが国家公務員ではないという位置付けです。
オフィシャルサイトにこの施設のモットーが掲げられています。
「NAN DEMO DEKIMASU - WE CAN DO ANYTHING」だそうです。

泊船庵の碑

泊船庵の碑

泊船庵の碑から見たSRFの建物

泊船庵の碑から見たSRFの建物

SRFの先にあるのが「泊船庵の碑」で、夢想国師が白仙山に庵を建て住んでいたとされることに因んだ記念碑で、1970(昭和45)年に建立されたものだそうです。
“禅”の推進者の夢想国師と言う人が鎌倉時代末期の1319年から1324年までの5年間、第2号ドライドックの付近の白仙山に下界との接触を絶って停泊地を意味する泊船庵を立て住んでいたのだそうです。

港湾管制ビル 桟橋

港湾管制ビルと桟橋

その先にあるのが「港湾管制ビル」で、反対側の港には多くのタグボートとともに艦船が係留されています。
旗艦「ブルーリッジ」

旗艦「ブルーリッジ」

桟橋の先に係留されているのが、この第7艦隊の旗艦「ブルーリッジ」です。
士官200名と兵員1200名以上の生活ができる大きな艦船で、1979年から第7艦隊旗艦として横須賀を母港としているのです。

12号バース

クレーンのあるところが12号バース

小海東岸壁の碑

小海東岸壁の碑

更にこの先には「12号バース」がありますが、そこには12号バース改修工事中に見つかった旧日本海軍によって作られた大正時代の石碑が残されています。
この12号バースは、横須賀海軍工廠時代に「小海東岸壁」と呼ばれ、明治30年代後半から大正時代初めにかけて港湾施設が整備された一環だったものだそうです。

12号バース 12号バース

主不在の12号バース

そして現在の「12号バース」にはあの空母ジョージ・ワシントンが停泊しているはずなのですが、先月に引き続き出港中もため、主無き我が家を見るだけに留めておきます。

第6号ドライドック

12号バースからトンネルをくぐって出た先が「第6号ドライドック」です。
今回は4号、5号ドックの見学はありませんでしたが、3号の後、4号は1905(明治38)年に、5号は1916(大正5)年にコンクリートと石によって建設されていました。

6号ドック 6号ドック 6号ドック

とにかく大きい・・・、大きそうな第6ドック


そして「第6号ドライドック」は、船の修理用に建造されたこれまでの1号から5号ドックとは異なり、呉海軍工廠で建造された戦艦大和、長崎造船所で建造された戦艦武蔵に次ぐ大和型戦艦の三番艦が建造される予定となり、まず造船用として1940(昭和15)年、全長365.80 mの鉄筋コンクリートのドライドックとして竣工したのです。

旅歴メモ -第6号ドライドック- このような巨大なドックが造られた背景は第一次大戦後の欧米列強の建艦競争に端を発しています。
ワシントン、ロンドンの2度の軍縮会議で一旦は沈静化した建艦競争のなか、日本海軍は質を高めるために5号までのドックでの改修で繁忙を極めていたのです。
その後、ワシントン、ロンドンの両軍縮条約から脱退した日本海軍は大幅な軍備増強を計画し、排水量65000トンクラスの大和型戦艦の建造が決定されたのですが、その建造には呉海軍工廠の4号ドックしか無かったため、横須賀海軍工廠内に第6号ドックが建設されることになったのです。

空母「信濃」

幻の戦艦、そして幻の空母「信濃」

こうして完成した第6号ドライドックでは初期の予定通り大和型戦艦の三番艦として戦艦「信濃」が建造されることとなったのです。
しかし空母として建造された「信濃」は、戦局の変化に伴って戦艦から航空母艦に設計変更され、1961年にアメリカ海軍の原子力空母「エンタープライズ」が登場するまで、史上最大の排水量を持つ空母だったのですが、竣工後、僅か10日でアメリカ潜水艦の攻撃を受けて沈没した実戦配備の無い幻の空母だったのです。

この日はドック周りが工事中とのことで近くまで寄ることはできませんので、ある程度の大きさは実感できましたがちょっと残念でした。

航空写真

他のドックと比較すると良く判ります

航空写真で見ると6号ドックの大きさが一目瞭然です。
大日本帝国海軍が威信と誇りにかけて建造した6号ドックは現在、アメリカ海軍のドックとして空母ジョージ・ワシントンを始めとする歴代の空母の修理を行い、信濃を建造した横須賀海軍工廠の伝統は現在のSRFに引き継がれ、その技術力の高さはアメリカ海軍から高く評価されているのだそうです。
見られるとこうなる6号ドック

間近で見るとこうなる6号ドック

まさに日本海軍のスピリットは今だ健在、とでもいうことでしょうかね。

午前中のツアーはここまでで。これから昼食となります。
昼食は6号ドックから1km程度はなれた「フードコート」となります。

左側通行だった

早く食事に有りつきたい思い

「腹減ったぁ~」と言いたげにツアーはダラダラと歩いていきますが、よくよく気が付けば(遅い!)アメリカに居ながら車道は左側通行となっています。(って、当然ですが、ある意味残念!)

この白い建物が「フードコート」で、この日は休日ともあって比較的空いているようです。

フードコート フードコート フードコート

お目当てのフードコート


フードコートには“SUBWAY”や“CINNABON”などのお馴染みの店もあり非常にアメリカンな気分なのですが、この日はあえて中華の「Manchu WOX」にしました。
Manchu WOX

アメリカで中華かぁ。。。「Manchu WOX」

最近海外TVドラマに嵌っている私としては、「ネイビー」でリロイ・ギブスが“焼きソバ”らしきものを器用に箸で食べているのが気になっており、この店がアメリカ・カナダのフードコートの多くに出店していているポピュラーな中華店であることからチョイスしてみたのです。

手軽でリーズナブル 手軽でリーズナブル

流石にリーズナブル

メニューシステムは細かいことは別にして、至極単純です。
「Meals for One」というメニューで、ライス(ピラフ)かヌードル(焼きソバ)のどちらかのい主食を選び(両方チョイスも有らしい)、そのほかの副菜として1~3アイテム選ぶシステムになっていて、これが所謂ランチセットというイメージでお得なようです。
更にテイクアウト用の「Take-Out Cartons」という単品もあるようで、本来はこちらのほうがよりドラマに近いのですが、せっかくなので色々食べてみることにしました。

オーダーは「ライス+オレンジソースポーク+ベジタブルミックス」と「ヌードル+オリエンタルグリルドチキン+レモンソースチキン」の2アイテム+コーヒーをオーダーしたのです。

支払いは「円」で お釣りは「ドル」で

所謂、お勘定とお釣りの3ドル

これで締めて17ドル30セントで、日本円でも支払えるので2,000円で支払います。しかしながらお釣はドルになり凡そ3ドルのお釣となって戻ってきました。
大雑把ですが1ドル=100円のレートのようです。

このヴォリューム

2アイテムプレートが2種

一見、豪華な昼食ですが、見た目はボリュームありすぎです。アメリカンサイズとはこのことかも知れません。
サイドメニューからの感想です。
基本的にまあまあいけるのは「ベジタブルミックス」で、所謂八宝菜的なものですが、まあまあ具合で可も無く不可も無くといったところでしょう。
それ以外のものの感想は「何でこんなに甘いのだ!」です。
オリエンタルグリルドチキンは日本的には照り焼きチキンといったところでしょうが、これも一般的な照り焼きよりもずっと甘く感じますが、文字通り酸味の効いた甘酢のようなものをイメージしていたオレンジソースポークやレモンソースチキンの方が照り焼きより更に甘いのは何故でしょうか。
これ食べてればダイエットが出来ないのも無理はないと、つくづく感じさせられました。

そしてメインのライスは、タイ米やインディカ米のようなライスでこちらは薄味でしたが、他が濃いので相殺でかろうじてOKってところです。
そして期待の焼きそばは太麺ですが家内と意見が分かれました。
私は薄味と言うよりも味が無いような気がしており、家内はかなり甘く感じたということでしたが、いづれにしても日本では絶対に売れない焼きソバといえるでしょうね。
味覚は人それぞれなので美味い不味いは個人の判断ですが、日本人の緻密な“旨味”という味をつくづく思い出しました。
兎にも角にもこれがアメリカンと考えればよい経験、良い思い出となるでしょう。
少なくともリロイ・ギブスの食べている焼きそばは決して私の口には合わない代物と言うことがわかりました。

コーヒーにデザート!?

コーヒーとデザート!?

食後はコーヒーとデザートの“フォーチュンクッキー”ですが、クッキーは二人分付いていました。
コーヒーは別料金ですが流石に安い割には美味く量も多いので大変満足できる代物でした。

AKBじゃやない、フォーチュンクッキー

フォーチュンクッキーのおみくじ

そして家内のフォーチュンクッキーにはラッキーナンバーと共に「柚(you)子(zi)」の謎の言葉が書かれていました。よく見れば“LEARN CINESE-Pomelo”と書かれているので、「Pomeloの中国名は柚子」という意味なのです。
ハズレ、当たり!?

ハズレなのか、当たりなのか複雑な気持ち

では私のおみくじはと言うと、ん、ん、、、な、無い!
フォーチュンクッキーのおみくじ無しってあるんでしょうか、もしかしたら逆に大当たりとか。。。
運が良いのか悪いのか、よく判らずにクッキーを食べてしまいました。

40分という短い昼食も終ってこれからは午後のツアーとなります。

2013.11.13記(つづく)

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